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新義真言宗 総本山 根來寺は大阪市内から約60分・関西空港から約30分和歌山県北部に位置し、桜・紅葉 車加持・ご祈祷、ご供養のお寺。

TEL. 0736-62-1144

〒649-6202 和歌山県岩出市根来2286

根來寺の歴史HEADLINE


根来寺について 新義真言宗について 

新義真言宗 三大法要 境内のご案内

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根來寺(ねごろじ)を開創された覚鑁(かくばん)上人は肥前国藤津荘(現在の佐賀県鹿島市)で生まれました。13歳で京都・仁和寺の寛助僧正に従い出家得度し、奈良と京都を往復しながら仏教を学び、20歳になると高野山に登り、真言密教の復興に努力しました。

やがて鳥羽上皇の庇護を受け、長承元年(1132)に学問探究の場である「伝法院」、修禅の道場である「密厳院」を高野山上に建立します。同時に根来近郊の岡田・山東・弘田・山崎の荘園と本寺豊福寺(のちに根來寺)を院宣により賜り、覚鑁上人を筆頭とする大伝法院は大いに隆盛しました。

さて、大伝法院・弘田荘、根来には豊福長者(とよとみちょうじゃ)が建てた葛城山系の山岳信仰をおこなう草庵がありましたが、覚鑁上人は、その豊福寺(ぶふくじ)の境内に、末寺の学問所として「円明寺」と「神宮寺」を造られ、康治2年12月12日(1143)に円明寺にて49歳の生涯を閉じられました。

覚鑁上人の入滅後、大伝法院は高野山で発展し十三堂塔が建立されましたが、仁治3年(1242)に焼失。その後、正応元年(1288)頃、頼瑜(らいゆ)僧正が大伝法院の僧侶の教学(学び)の拠点を根来に設けました。
頼瑜僧正の学風は聖憲尊師に受け継がれ「新義教学」として大成しました。中世根来寺は多くの学僧を抱える「学山根来」であったことが、伝えられた多くの聖教史料から近年明らかになりました。当時の根來寺境内を示す「根来寺伽藍古絵図」には、覚鑁上人の法灯を守る法会を営む堂塔伽藍と中性院に代表される教学を伝受する300〜400の院家が描かれております。

戦国時代、大きな勢力を備えた根來寺は、当時の様子を書いた宣教師ルイス・フロイスの『日本史』にも紹介されています。しかし、こうした強大な寺社勢力を危惧した豊臣秀吉は天正13年(1585)3月に紀州根来に攻め入り、大塔・大師堂などの2〜3の堂塔を残して全山焼失してしまいました。

その後しばらく復興を許されませんでしたが、やがて紀州徳川家の外護を受けて、大門・伝法堂・不動堂など主要な伽藍が復興され、また、東山天皇より覚鑁上人に「興教大師」の大師号が下賜されました。

現在 根來寺は新義真言宗の総本山として、興教大師の御廟を守り続けております。葛城連峰の端に、広い境内を有し、国宝に指定される日本最大の木造の『大毘廬遮那法界体性塔』(だいびるしゃなほっかいたいしょうとう)通称「大塔」のほか、宗祖 覚鑁上人独自の教学をあらわす大伝法堂には、重要文化財の本尊大日如来(だいにちにょらい)・金剛サッタ(こんごうさった)・尊勝仏頂(そんしょうぶっちょう)を安置しています。本尊三尊像と国宝大塔は興教大師覚鑁が高野山大伝法院に創建したかたちをそのまま根來寺において再興した姿を現し、法灯がうけつがれました。史蹟・根來寺境内は中世の佇まいを残し四季折々桜・青葉・紅葉が変化に富み多くの参拝者の目を楽しませています。

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根來寺略年表

    覚鑁年齢  
1095年 嘉保2年   覚鑁 肥前国藤津荘に生まれる
1114年 永久2年 20歳 高野山へ初参する
1132年 長承元年 38歳 高野山大伝法院・密厳院の落慶供養法会が行われ、鳥羽上皇らが参詣する
1140年 保延6年 46歳 高野山を離山し現在の根來寺内、豊福寺へ移る
1143年 康治2年 49歳 豊福寺内に円明寺・神宮寺を建立し落慶供養を行う

覚鑁 円明寺において入滅
1205年 元久2年   根来寺という呼称がこの頃までに成立する
1288年 正応11年   頼瑜、高野山上の大伝法院の活動を根来に移す
1391年 明徳2年   根來寺大師堂が建立される
1404年頃 応永11年   この頃、根來寺大伝法堂内の大日如来像が開眼される(金剛サッタ像・尊勝仏頂像もこの頃、完成したと推測される)
1547年 天文16年   大塔(国宝)が完成する
1585年 天正13年   根來寺、羽柴(豊臣)秀吉の紀州攻めにより炎上する
大伝法堂・大塔・大師堂等は焼け残るが、
本尊の三尊像は京都嵯峨へ運び出され、大伝法堂も解体される
1600年 慶長5年   徳川家康、根來寺再興の許可を与える 
1690年 元禄3年   覚鑁に興教大師の謚号が贈られる 
1827年 文政10年   大伝法堂再建落慶供養が行われ、大伝法堂三尊像の修理事業が完成する 
1852年 嘉永5年   大門の落慶供養が行われる 
1992年 平成4年   興教大師覚鑁 八百五十年遠忌 
1995年 平成7年   興教大師覚鑁 誕生九百年 
2007年 平成19年   不動堂拝殿落慶供養が行われる