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新義真言宗 総本山 根來寺は大阪市内から約60分・関西空港から約30分和歌山県北部に位置し、桜・紅葉 車加持・ご祈祷、ご供養のお寺。

TEL. 0736-62-1144

〒649-6202 和歌山県岩出市根来2286

根來寺ミニ知識HEADLINE







5、覚鑁上人と信貴山(しぎさん)

信貴山朝護孫子寺(ちょうごそんしじ)は根來寺から北北東に車で1時間半ほど、大阪と奈良の県境、奈良県側にある聖徳太子創建の名刹です。毘沙門天王を本尊とし寅の縁起で有名なお寺で真言宗十八本山のひとつです。この信貴山と覚鑁上人とは深いご縁で結ばれているということをご存知でしょうか?
覚鑁上人が32歳の頃、信貴山に籠(こも)って修行されました。その折に毘沙門天王から宝珠を賜り、それを本堂に納められたと伝えられています。現在も信貴山の本堂にお参りすると本堂真下の暗闇に回廊があり「戒壇巡り」をすることができます。階段を降りて暗い回廊を進んで行くわけですが、右手を右の壁に当てながら廻ります。真っ暗闇ですから、自然と腰が低く頭を下げた姿勢で進んで行きます。すると灯りがほんのり見え十二支生まれ年の守り本尊がおまつりしている場所があります。そこでお参りした後、更に暗闇の中を進んで行くと右手に木の格子が当たります。その格子の大きな鉄の錠前に触れると如意宝珠に触れたのと同じ功徳が与えられるということです。信貴山にお参りされましたら、この「戒壇巡り」を忘れずにいたしましょう。
さて、その信貴山を遥拝(ようはい)する「遥拝石」が根來寺不動堂の庭園の中に置かれています。北北東の信貴山に向かって礼拝し「オン ベイシラマンダヤ ソワカ」と毘沙門天王の真言を唱えます。一方、信貴山にも根來寺の覚鑁上人を遥拝するための場所があるということです。相互礼拝相互供養ですね。

4、「こみっちゃ」の謎

さて、ほとんどの人が「こみっちゃ」と聞いても何のことかわからないでしょう。お茶の一種?どこかのお店の名前?和歌山の方言???実際私もちんぷんかんぷんでした。しかし、この「こみっちゃ」という不思議な言葉が根來寺に大きく関係していることを知ってびっくりしたものです。根來の地に生まれ、岩出で育ったご年配の方々の中には、どこかで聞いたことがあると思い出す人も少なからずいらっしゃるかもしれません。しかし、根來寺周辺以外の人、ましてや他府県の人には何のことやらさっぱりわかりません。
漢字で書くと「小密茶」!! やはりお茶?! 密教の密が使われているから何か特殊な用語?と疑問が膨らみます。さらに「根來の小密茶の正体は?」などという記事の題名を見るとサスペンスかと疑い、「俗称根來山こみちやは誰れか?」という論文があると、え?人の名前?と驚くのです。そう、「こみっちゃ」あるいは「こみちゃ」とは人の名前らしいのです。
その論文を引用している記事によると、大正時代今から百年ほど前、近隣の子供たちに父母や村人がよく「こみっちゃ」の話を聞かせていたそうです。その内容は「昔、根來の「こみっちゃ」という坊さんはエライ坊さんであった。根來焼き討ちの時に、一夜にして根來の前山に畳、襖、屏風をもって砦を築いて攻め来る敵を防いだのだ。実にエライ坊さんであった。」という話だそうです。遠方から見ると前山の上に巨大な砦が一夜のうちに出現したわけで敵の度肝を抜き戦意を喪失させたに違いありません。大河ドラマ「真田丸」をご覧の方は秀吉が一夜のうちに張りぼての砦を築いたり、真田昌幸の智謀に驚かされたりと戦国時代の武将の活躍をご存知だと思いますが、「こみっちゃ」というお坊さんも有名武将並みに必死で根來寺を守ろうと活躍したようです。だからこそ、つい最近まで「エライ坊さん」と語り継がれてきたのでしょう。
現在の紀の川市桃山町の奥さんという家の古文書によりますと「根來寺惣福院、本名奥右京、異名小みっちゃ」とあり根來「こみっちゃ」は奥家の一族から出た武家の入道僧であるようです。ところが別の古文書には出羽守義尚(この人も奥家の先祖)の弟が「こみっちゃ」であるとしています。いずれにしても奥家に関係した人物のようです。そして浅野長晟、幸長に仕え浅野家が紀州から芸州に転封した際には芸州(広島)に移り住んだともいわれています。もともと奥家は美福門院に仕える家柄で保元元年(1156年)に美福門院が荒川荘(安楽川荘)に来往した時に共に赴いたそうです。そして「こみっちゃ」といわれる人物は津田監物とも縁戚関係にあり砲術を習得した奥弥兵衛の一族ですから、お坊さんというよりは武士でありながら頭を丸め得度した人物だったのでしょう。戦国時代であれば武田信玄、上杉謙信も武将であり僧でもあったことは有名です。この根來「こみっちゃ」こそ、根來衆と呼ばれた自衛戦闘集団の代表的人物だったのかもしれません。後世、軍記物や講談の題材として人気を博したのもうなずけます。どの時代でもヒーローとして活躍する人物をみんなが求めていますから・・・
詳細をお知りになりたい方は下記の文献に当たってみてください。

@    水原堯栄「俗称根来山こみちやは誰れか?」『紀伊風土研究』第二冊 大正15
A    小栗善高「根来の小密茶の正体は?」那賀歴史散歩<12> 『紀北日日新聞』昭和5685
B    太田宏一「津田流砲術と奥弥兵衛(続)」『和歌山市立博物館研究紀要25』平成22

私が「こみっちゃ」という名前を初めて聞いたのは「友の会」役員会の席でした。どんな話から「こみっちゃ」が出てきたのか思い出しませんが、稲田武彦会長と役員の宮本晴生さんが「ええっ?! こみっちゃ知らないの?」「有名だよ!!」と「こみっちゃ」の話で盛り上がりました。後日資料ABを宮本さんが持ってきてくださったので詳しいことがわかり助かりました。
また、ネットで「こみっちゃ」と検索すると「根来衆人物紹介・奥小密茶」なる記事(小説?)もあり、「こみっちゃ」の名称とその謎はますます深まるばかりです。

3、冬の風物詩・おみくじとダルマ

初詣にお参りの皆さんがおみくじを引き、大吉や凶を引き当てては歓声が沸き起こる。
根來寺では元旦零時から除夜の鐘を参拝者に撞いていただくため、それを楽しみに待っている列が長く鐘楼門下に続いている。さらに光明殿の鰐口の音が良いため参拝者の列が途絶えることがない。なぜか参拝する人達は行儀よく順番を守り、二列か三列になりゆっくり進んでいく。賽銭箱の最前列で拝まないと気が済まないのだろうか?都会の初詣とはかなり様子がちがう。
若者達の興味はお参りよりもおみくじらしい。グループでおみくじの前に並んでは、歓声をあげお互いのおみくじを見せ合っている。中には引き当てたおみくじの内容がどういう意味なのかわからずに聞きに来る若者もいる。漢字も読めなければ、古語ふうの言い回しもちんぷんかんぷんらしい。現代語訳というより若者言葉に直さないと理解できないようだ。ここは日本のはずだが今の若者の日本語はどうなっているのだろう?とふと不気味さを感じてしまうのは私だけだろうか?

さて、正月が明けて一週間もすると、光明殿前にはおみくじの白い花が咲きほこる。用意したてけの枝におみくじを結んでいくとそれがあたかも花のようになり、おみくじの重さで垂れさがり写真のような風景が現れる。10日から15日の間には片付けるので、正月初旬だけの風景である。そして欄干の周りにはダルマが所狭しと並べられる

2、根來寺光明殿の欄間

光明殿には見事な欄間がありますが、皆さんお気づきでしょうか?
内陣奥に入る
正面上にあるので、わかりにくいかもしれません。
曇りや雨で堂内が暗いときには何が彫られているかはっきり見えないため素通りしてしまう人の方が多いでしょう。二頭の龍が浪間の中で向かい合っている姿が彫られています。奥行を出すために中央を少し膨らませ、龍と波の彫りも力強く一流の彫り師の作にちがいありません。
残念ながら作者不明ですが、光明殿は文化元年(1804年)に落慶供養されていますから、その年代の彫り師でしょう。
完成から211年間、光明殿を護り、お参りされる方々の様子に目を凝らしています。

1、不思議な雨樋(あまどい)

その日は朝から雨が降り続いていました。
本坊から光明殿に向う渡り廊下を歩い
ていると、どこからともなくお経の声が聞こえてきます。光明殿の中には誰もいません。低い読経が雨の音とともに続いています。般若心経のような、しかし聞いたことのないような不思議なお経が聞こえてくるのです。あたりを見回しても誰もいません・・・目の前には一本の雨樋。耳を近付けるとお経が大きく聞こえてきます・・・そうです、この雨樋を流れる雨の音がお経のように聞こえていたのです! 
どの雨樋なのか、みなさん探してみてください。その雨樋だけがお経をお唱えするのです。
運の良い方は(雨の量によって聞こえる時と聞こえない時があります)
その不思議な雨樋のお経を聞くことができます。もちろん雨の日にご参拝していただかないと聞こえませんが・・・